コロンビアのコーヒーとティピカの香味

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個人的にウィラは凄かった。今年もそういうのが買えるのか不安だったのだけど、そうでもないのかな。コロンビアという産地をCOEから見た時、どうも外国の大手ロースターが落札したがっているように見えた。といっても、落札率や落札履歴を産地ごとで厳密に比べたわけじゃない*1ので、印象論ですらない。それでも、他の産地は他国(というか日本の丸山だけど)に渡しても、コロンビアだけは、良い物を必ず確保するみたいな熱の入れ方に思えた。(これは今からでも過去の落札履歴を見えばいいと思う。)

では、仮にそうだったとして、その情熱の源は何だったのだろうか?

当初は、向こうではコロンビアが人気なんだろうと思ってた。日本におけるキリマンみたいなポジションなのかな、と。しかし、これだけ幅広くあれる産地なら、やっぱり他に「何か」があるのではないか?たとえば、シルキーさ。プロはこの質感に非常に敏感で鋭敏で執着があるように見える。要はマンデリンなどの出来の良さを強調してるだけかと思ってた。けど、別の文脈もありそう。もしくは何らかの原体験のようなもの。

他にも、ブラジルかコロンビアか忘れたけど、ゲイシャ特有の舌触りに近いものがあった。ゲイシャでもブルマンでも、舌触りは特定の単語で形容できる。でもプロはそこで形容されている以上のものを感じてるはず。そう思えてきた。ただ、そういう部分って、店の公式見解としては出てこないくせに、どうも素人同士でも意見は一致するしプロも実はそう思ってるってのがあるっぽい。

グアテマラのカツーラも、まだ飲めてない。これはいつも買えるはずだから急いでない。カツーラはブルボンより劣るのか、その感覚は特に掴めたと思えてはいないが、固有の臭さがあっても別に誰も気にしないだろうな。おかげで安く買えるってのもある。結果だけ見れば同じ農園での違いも色々と楽しめるのだし。そもそも良し悪しぐらい説明の雰囲気から見抜けよってだけ。

ティピカの橋を渡り、ケニアに話は飛ぶ。おそらく、11-12のロットと比較した時、何か足りてないものがあるのだろう。この判断にどんな基準がいくつ使われているかは知らないが、店のラインナップとは符合する。

品種や産地以外の残り話としては、エチオピアを深煎りにする意図もまだよくわからない。味覚から分かること以外の価値が入り込んでいるとしか思えてない。ここも、コスタリカで確かめられそうだったけど、機を逃しちゃった。

たぶん、「シルキーさがこの焙煎の深さでこれだけのバランス云々……」というような説明はカッピングからもコーヒーの歴史的文脈からも可能なのだろうけど、実際に飲んでみれば済むだけ。そういう簡単な話にしかできないと思う。

ここらも、分からんことが多い。ワインだと「日本向け」みたいな作られ方があって、これがちゃんと美味しくてさぁ、どういう理屈だよと不思議なことになってる。そういうことならコーヒーにもそういうのがあるんじゃないの?となる。

そういう業界跨ぎで考えると、「深煎り自体の美味さ」は、清酒で言う「旨味」*2って形容に近いのかもしれない。でもこの感覚はフレンチからイタリアンの間での感覚に思え、フルシティからフレンチの間にはまた別に何かありそう。

なんでそんな細分化されるかというと、エチオピアを深煎りにする良さがよく分からんから。現状では、味覚以外の価値が何か入り込んでるとしか思えない。悪く言えば地味になる。良く言えばバランスが良くなるといえるんだろか?歴史的な文脈で言えば、「深煎りでもこれだけ香りが残るのが凄い」とも言えるんだろう。この説明は、圧倒的に正しいであろうゆえに酷く嘘っぽいのだけどね。この辺のプロの感覚は、まだよくわからない。あ、もちろん美味しい。

また、直感的とまでには至れてはいないけど、プロから見た何らかの価値に付随して引き起こされてそうな雰囲気のある味覚の知覚のされ方が2つある。喉に絡みつくか、または苦味が染みこんでくるかのような…似た状態としては、高塩分濃度で熟成させた白干し梅の塩味を苦味に置換したかのような……このあたりが怪しい。

しかも後者は、苦味としてだけでなく香味や甘味としてまで、同様の挙動を起こせるのだと思う。ここがどう読んでも意味が通じそうもない説明になってんだけど、分類としては風味ってことで良いのだと思う。ただの風味で終われないのは、味覚として知覚される順番というか知覚の持続性、もしくは知覚される過程が特徴的だから。香味や甘味が舌に染み込んでくるかのような印象になる。甘味ぐらいなら檸檬の酸っぱさみたいなものの変形だからまだ良いのだけど、香味ってのが不思議な感覚。しかも味覚の主体は苦味ではないのに、でもこれって…背景にある苦味がこの「染み込み方」の原動力になってないか?みたいな感覚に陥る。

これが深煎りにおけるイタリアン寄りの苦味の美味さ、その極値の1つだと思ってる。ただ、元々の「苦味の染み込み方」自体が、グラニュー糖のような甘味の影響を、香味や甘味が受けるような形と相似形で受けてるような気もするので、絡まったことになってそうでもある。またこうなったらなったで、これって、所謂「コーヒーの甘味(400円未満のコーヒーに顕著)」の延長なのか?などの疑問も出る。ホイールは覚えてないけど甘味も細分化されてんのかな?

フレンチ寄りの方の極値は、まだ分からない。フルシティとの境界線に何かある…のか?こっちは勘すら働き用もないくらいに全く分からない空白地帯。在りはするはず。そもそも苦味系の美味しさになるのかも不明。モカが担当できてる領域っぽい。最も単純なオチとしては、焙煎の深さと香りの量の併存という歴史的な価値で終わるかも。それでもいいと思うけど、それは退屈な話だなぁと思う。この境界近辺の理解が全く及んでいないので、最難関領域の疑いがある。


これら全てが、「ティピカらしさ」から考えられ、なおかつ、その「らしさ」はスペシャルティらしい派手派手しさとは異なるような、「スペシャルティ以前の高品質なコーヒー」の系譜であるのではないだろうか?

*1:以前はそういうデータがサイトで確認できた

*2:(純米)吟醸酒というよりは、コク系の大吟醸系だと思う。カタログに載ってない5000円ぐらいのかなぁ。普段の3000円の大吟醸と比べると愕然とするような差が出るような酒蔵もある模様な意味で旨味。熱燗の美味しさみたいなのでもいいような気もするんだけど、ちょっと違う気もしてる。