考える生き方(イストワール)

以下は身の上話。つまり、まだ読んでない。これから読むよ。そのうち。のんびりと。ぷっちんディシプリン

だから、あまり、著者の補足も含め、実は読みたくない。といっても、補足されるようなことは、たぶんもうわかっているはずという変な自負もある程度にはストーカー。

メモついでに引用というか、誰かこういう視点からも書いてくれないかな。そんなの読書じゃない?ええじゃないかええじゃないか。

あんまりにもあんまりなので、書きかけ全壊で、そのうち書き足す。

「このようにわたしの目的は、自分の理性を正しき導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうとしたかを見せるだけなのである。・・・・。そのようにお見せして私が期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人にとっては有益であり、またすべてのひとがわたしのこの素直さをよしとしてくれることである」
――方法序説

これは、私の方法であるから、誰にでも為になるものだとは言わない。ただ「私は、これが或る人々には有益である事を、誰にも無害である事を、そして凡ての人々が、私の素直は認めてくれる事を、願うのである」と彼は言います。

彼のこういう言い方には、あんまり自信の強い人は、 kakitasse
――常識 考えるヒント2

他人の、特に華やかではなくそれなりに挫折やトラブルはあるにしても、まあ普通の人生。どうでもいいや。知らない人の、特に変わったものでもない結婚や子供や仕事の話をきいてもなあ。後半の、彼のお勉強作法のような部分やいろんな知識をどうやって身につけたか、という話は、人によっては興味があるかもしれない。が、若者への生き方に関するお説教(しかもあまり腰のすわらない、お説教なんていやあそんな柄じゃありませんよ、と謙遜しつつもまさにその謙遜することで他人がもっとヨイショしてくれるのを期待しているようなものほしげなお説教)は、だれが読みたがるのやら。
――[朝日新聞書評ボツ本][書評]finalvent『考える生き方』:Not for me. 装丁はちょっと変わってるので本屋で手に取るくらいは。

ヨイショと言えばそうなのかもしれない。それでも、