「強制dangling」は書けるのか?

Mr Abe should hold his nerve by nominating someone willing to be bold in pursuit of mild inflation.
 
danglingの場合その1(普通にぶら下げる)
安倍氏は、大胆にマイルドなインフレーションを追求しつつ、傑物を指名することで度胸を示すべきだ。
 
danglingの場合その2(結果の含みを持たせる意訳)
安倍氏は、傑物を指名することで度胸を示すべきだし、それで大胆にマイルドなインフレーションを追求することになる
 
普通の就職の場合
安倍氏は、大胆にマイルドなインフレーションを追求する傑物を指名することで度胸を示すべきだ。
フィナンシャルタイムズで学ぶ英文解釈 - finalventの日記

まあ、意味的にも、someoneの慣用表現でも、danglingということはないのだけど、日本語でも句点の打ち方で意味がずれるみたいなことが、英語にもあるという話でした。
フィナンシャルタイムズで学ぶ英文解釈 - finalventの日記

と、いうように終わってはいる話ではあるが。

タイトル通りのことをやるには、someoneが既に言語外照応で修飾を求めないか、後方照応でも談話文法っぽく(?)次の文に説明責任みたいなのをブッ飛ばせばいいのだろうか(rheme/themeなかんじで)。

つまりは、someoneのような慣用を持っている不定詞っぽい(?)名詞(もしくは「〜のような慣用を持っていて、かつ不定詞っぽい〜」か?)を使った上で、danglingとして確実に読ませる文というのは書けるのか。という疑問。

そりゃま書けないなんてことはないんだろうけど。そういう文って、普通の英文として読んでもらえるのかみたいな疑問もあり。(「読もうとすれば」ではなく、普通の英語の感覚として自然なのかみたいな。もちろん、「どこまで『自然に』読もうとできるのか」も気にはなるとこなのかもだけど。)

強制的にdanglingとして読ませるにしても、「普通にぶら下げる」「結果に含みをもたせる」「普通の(後置)修飾」の3つのうち、普通にぶら下げる以外は簡単にできそうでもある。

3つ目はdanglingに含めるべきではないのかもしれないが、これもdanglingの一種みたいな見方がされてんじゃないのかなーという気分もある。むしろ関係詞の非制限用法だって、形としての類似性からそう分類できるというような話よりも、意識としてはこの3つ目と同程度にdanglingな気分で使われてんじゃないか?という適当な言い砲台。

別の話だけど談話文法って

本多勝一ばりの書き方っつーの?そう書けば確かに修飾関係は分かりやすく綺麗な文になる。hyper-themeも丁寧に置くべきだ。わかる。それはわかる。

でも僕は先にdanglingされるような気分を感じており、hyper-themeとしてのdanglingの如く文全体に係っているというか、文修飾でもなく、普通に何処かの節か句を修飾してはいるんだけど、白い画用紙に綺麗な文を書きたいんじゃなく、もうベースとなる色があり、それを前提で書きたいみたいな欲求というか。

ある意味、日本語の古文の読点で区切られた関係が1つづつズレて連なっていく(主語がズレていくので、句点まで1つの文とすると、すんごく捻れている文のようなかたちになる)ような塩梅に、そのネジレの部分を英語のdanglingの気分に乗せてベースカラーを変えネジレさせるというか。

古文の方の用例を書けや!って話だが、そのうち書き足すハ!(こんなんで伝わるわけがね〜

前置か後置か

たぶん、学習英文法の枠でdanglingを考えると、こいつは文頭に前置されてんだ、たぶん。

で、僕が気にしてる文修飾というよりは雰囲気修飾なのか心理的hyper-theme兼任みたいな滅茶苦茶な書き方も、前置で問題になる(語修飾の修飾先が遠くて読みにくくなるから)。後置はそうでもない。

他方で、英語におけるdanglingの気分で重要なのは、いわゆる挿入の位置か、文末に後置される場合なんじゃねーかなーみたいは砲台。


要は、語修飾のくせに他の雰囲気付けというか話のディスコースマーカーとしての方向性も兼任しているような使い方なのかなぁ。まぁ、そのちょっとした書き手の気分の雰囲気が消えたとこで、何にも問題ないんだけど、ちょっと寂しい。